プロフィール

 「川田昌克」と書き,「かわたまさかつ」と読みます.1970 年 1 月 15 日,山口県下関市に生まれ,血液型は B 型 (Rh+).3 人兄弟の末っ子長男.郷土下関は本州の最西端に位置しており,その下関の最西端にある彦島(もっと知りたい物好きな方はリンクを参照)という島で育ちました.幕末に,香港のようにイギリス領になりかけた島であるためか,地元ではヒコットランドという名前で通っています.本州とは数メートルほどしか離れておらず(もちろん,橋が何本もかかっている),小学校低学年時には自分が島に住んでいることに気付いていませんでした.彦島にある南泊(はえどまり)市場はフグの水上げ高が日本一なので有名です.また,JR 在来線の関門トンネルの入口も実は彦島にあるので,列車で本州から九州に行くときにはごらんあれ.ちなみに,武蔵と小次郎で有名な巌流島(無人島)や源平合戦で有名な壇ノ浦も下関です.
 高校は山口県立豊浦(トヨラと読む)高等学校に通っていました.この高校は,西日本では唯一?の公立男子校でしたが,2003年度より男女共学になったそうです.何かさみしさを感じますね.

 私が下関から京都にやってきたのは,1988 年 3 月の末.当時,立命館大学理工学部はまだ京都市の衣笠にあり,大学から比較的近い御室(おむろ)に下宿をしていました.ちなみに,オムロンは,昔,本社が御室にあったため,その名が付けられました.
 私が大学4年間を過ごした下宿は,賀茂学生寮というアパートで,風呂無し,台所・トイレ共同の6畳1間で家賃が共益費込みで1万9千5百円.住民同士は家族のような付き合いでした.

 大学時代,サークルは,サザンクロスという名前のサイクリング愛好会に在籍していました.高校時代,修学旅行がなかったこともあり,旅をしたかったというのが,サザンクロスに入った理由でした.当時は,輪行(自転車を分解し袋に入れて,電車などで途中を移動する)をしないのがサザンクロスのモットーだったので,京都から大阪や神戸まで自転車で移動し,フェリーに乗って目的地(主に九州,四国方面)まで行っていました.
 残念ながら,1999 年度を最後に,サザンクロスの歴史は幕を閉じました.これも時代の流れでしょうか.


立命館大学卒業式の日(井上和夫研にて)