海外体験記


海外体験記

1.国際会議1993 American Soiety for Precision Engineering Annual Meetingで発表するためアメリカ,ワシントン州,シアトルを訪れたときの写真(上:ワシントン州立大学'93.11.7,下:シアトルタワーからシアトルの街'93.11.11)である. 私が修士2年のとき,東理大大学院電子基礎工学専攻科内で国内での学会発表は行っていたが, 海外での発表者まだおらず私が国際会議での発表第1号であった.また,海外初体験でもあり,色々と 不安もあったが、宮本教授(東京理科大基礎工学部電子応用工学科教授)と本田助手(現:東京都立 科学技術大学工学部機械システム工学科講師)との3人で行動を共にしていたし,ウエスチンホテルの中に 日本料理屋日光もあり,寿司上にぎり13ドルの手軽な値段で食べれたし,フロントも日本語が通じたので 外国に来た感じがしなかった記憶がある.それをいいことに1人でぶらぶらシアトルの街を歩いていると 向こうの方から中年の黒人男性が何かいいながら追っかけてきたので,怖くなって走ってホテルに帰った. やはり,海外をあまく見てはいけないことをつくづく感じた.〔平成11年8月30日記〕

2.国際会議1994 Materials Research Society Fall Meetingで発表するためアメリカ,マサチューセッツ州,ボストンを訪れたときの写真(左上:ハーバード大学'94.12.3,右上:マサチューセッツ工科大学'94.12.3,左下:ボストン港'94.12.4,右下:ボストン美術館'94.12.4)である.
2回目の海外でもあり,当時D1の私と当時M1の谷口君(現:東理大助手)と二人で行った.会議の後,メリーランド州に住む おじさんを尋ねるため,仕方なくノースウエスト航空を利用した.前評判でノースワーストと呼ばれているだけのこともあり,かなり傲慢なスチワーデスであった.飛行機の中でビール1本しかくれず,1時間に一回水しか出さず,アルコールの勢いで寝ようかと思っていたため寝れず,着いてから3日ぐらい時差ぼけで頭が痛かった. 免税でウイスキーでも買っておけばよかった.航空券が安いからといって,サービスまで減らされるのはけしからんことである.〔平成11年8月30日記〕

3.ボストンを訪れたついでにおじさんの住むメリーランド州隣のワシントンD.Cを訪問したときの写真(左上:ワシントンモニュメント'94.12.6,右上:日本テレビ系列NNNワシントン支局'94.12.7,左下:ホワイトハウス'94.12.7,右下:スミソニアン美術館'94.12.6)である. 右下の写真に私と写っているおじさん日系2世フランク正三馬場氏(生後6ヶ月で両親の生地香川県綾歌郡に預けられ,12歳まで日本で暮らす)を紹介をする.1995年10月,GHQ(連合国軍総司令部)の一員として日本に進駐し,その一部署のCIE(民間情報教育局)ラジオ課で,戦後の一時期,放送現場の責任者として日本の戦後民間放送の立ち上げを行った.日本にNHK以外の放送局があるのもこの馬場氏の努力によるものである.今年,伝記が出版されたので興味ある方は,”日本の放送をつくった男,毎日新聞社,石井清司著”を是非読んで頂きたい.馬場氏とお会いするのは始めてのことで,飛行場で会うことが出来なかったらどうしようかと 思っていたが,血は争えないもので親戚とよく似ていたため,すぐに見つけることができた.ワシントンD.Cに2日しか滞在しなかったが,いろいろな放送局の秘話などをたくさん聞かされた.現在,読売新聞社長渡辺恒夫氏がワシントン支局長だった頃の秘話も聞かされ,大変お世話したそうである. ワシントンD.Cのスミソニアンの博物館,美術館は当時はただだったので,貧乏旅行している人には,最高の場所である.〔平成11年8月30日記〕

4.国際会議ICPE'97 International Conference on Precision Engineering (3rd ICMT)で発表するため台湾,台北市を訪れたときの写真(故宮博物館'97.11.22)である.
台湾に行くには,福岡からエアーニッポンとエバー航空の共同便,中華航空,台湾経由 香港行のキャセイ航空があるが,何処の飛行機会社にしようか悩んでいたところ, 九州在住の精密工学会会員グループに声を掛けていただき,一緒にキャセイ航空で 行くことになった.エコノミー席にも座席の前に一人ずつ液晶のテレビがあり, 2時間しょっとであったが快適な空の旅であった.国際会議の場所は,有名な円山大飯店 で行われ,通常一泊3万円が1万円程度で泊れた.日本人相手の観光ツアーもあったが, せっかく外国に来ているのに日本人と行動するのはいやだったので,フロントで 紹介してもらい,異国人ばかりのツアーに参加した.アメリカ,イギリス,香港, オーストラリアの国々の人と1日を台北市内観光した.故宮博物館等を回ったが, ほとんど蒋介石のことばかりで,あまり印象に残っていない.
11月下旬なので寒いかと思ったが,11月でも日中30℃を超え,ホテルの部屋もガンガンにクーラーが効いており,2日目に風邪をひいてしまい,声が出ない中, 英語で発表した.私の流暢な英語を聞くことが出来ずさぞかし残念であったと思う.半分冗談です. 台湾料理は中国料理と同じで日本人に合うのかと思っていたが,変な香辛料が効いてて あまりおいしくなかった.現在はスカイパーヘクトTVで台湾,韓国のTVが見られるが, ほとんどの番組が日本の真似た番組か日本の漫画,ドラマであった.日本人も他を真似るのが得意だが,台湾はそれ以上である.研究でそれをやったら困ります. 〔平成11年9月6日記〕

5.国際会議1st International Conference and General Meeting of the European Society for Precision Engineering and Nanotechnologyで発表するためドイツ,ブレーメンを訪れたときの写真(上:ブレーメンの音楽隊像'99.6.1,下:聖ペトリ大聖堂'99.6.1)である.
旅行会社のHISのおねいさん進めで,当初ドイツルフトハンザ航空を利用する予定であったがKLMオランダ航空の方が早くブレーメンに到着しスッチーも明るく親切とのことで 関空発のKLMオランダ航空で行くことにした.ここまではよかったが,福岡から関空に 着いたところ2時間遅れで出発のことで乗り継ぎ便の変更しているので心配ないとのことで関空を出発,オランダスキポール空港に着いて乗り継ぎ便を確認したところ,私が乗るはずだったブレーメン行がキャンセルになっていた.悲劇の始まりである.私のつたない英語でなんとか通じたようで,フランクフルト経由ならば今日中に着けるとのことで 仕方なくルフトハンザ航空でフランクフルト経由でブレーメンに飛んだ. フランクフルトに着いたのはいいが,乗り換えの分かり難い空港で乗り換え時間も10分もなかったのでここは走るしかないと思い,空港内をおもいっきり走りぎりぎり間に合った.このとき,KLMオランダ航空を勧めたHISのおねいさんを怨んだ.無事,現地時間23:00過ぎにブレーメン飛行場に到着し,路面電車で市街地のホテルに到着したのは, 次の日になっていた.外国ではこのようなトラブルは日常茶番時なことなので, 怒っている人もいなかったので,普通なら切れている私でも我慢した. いよいよ,次の日から国際会議が始まったが,第1回のヨーロッパ精密工学会の 国際会議だったためか,ぎりぎりまで準備をしていた.学会の企業ツアーに 参加し,ハンブルグのエアバスの飛行機工場を見学した.1993年の アメリカ精密工学会国際会議でシアトルのボーイングの飛行場工場を 見学したときよりは,規模が小さかったが,作業している目の前で 見学できたので感激し,また全日空向けのA320を作製中だったので さらに感激した.これで2大飛行機会社を見学できたので悔いはない. 一つ驚いたことは,朝食からこてこてのチーズがずらり,朝から食べれません. ソーセージは手作りでこれは朝からでも沢山食べれた. 炭酸入りの水を飲むのが習慣の様で,これはまだ許せるが台湾に行ったときは 烏龍茶,緑茶に砂糖が入っていたのでこれにはまいった覚えがある. ブレーメンの街中は,夕方になると中高年の人々は店のテラスでビールを飲みかわし, 23時の空が暗くなるまで飲んでいた.日本人も働くことばかりに時間を使わず 飲みに時間を取るべきである.私は,酒を飲むとナイスなアイデアが浮かぶので 医者には止められているが飲むことにしている.〔平成11年9月6日記〕

6.上記学会の乗り継ぎ地点のオランダ,アムステルダムを訪れた時の写真(運河'99.6.3)である.
乗り継ぎついでにアムステルダムも見学するため,1泊した.本当は24時間滞在できないチケットだったが内緒で,午前中にオランダ入国ができ,アムステルダム市街地を 散策した.驚いたことに性風俗に関する博物館,店ばかりでかなり刺激的であった. 中華街側の飾り窓地区にも行ったが,ここではお話できないので直接私に聞いてください.最後なので一泊38,000円の高級ホテル(KLM系列のチューリップホテル)に泊まり, 少しの時間金持ち気分を味わった.ボーイに払うチップが細かいのがなく,日本円で 3,000円近くあげてしまった.ちょっともっつたいないことをしたが,その後 ホテル関係者がみな親切で,名前まで覚えていたのには吃驚した. ドイツ人は親しみにくく公務員的であったが,オランダ人は陽気で親切で私の 性格にぴったりの国であった.行きはさんざんな目にあったので,帰りのスキポール 空港KLMカウンターでいろいろと注文をつけたら,ツーリストクラスからビジネス クラスにしてくれ,日本到着までワインを沢山頂いた.座席もほぼフラットになり, 横になった状態で個人専用液晶画面が見れたのでかなり快適であった. 英語だからといって躊躇せず,言いたいことは片言英語でもいいから主張すべきで ある.二度と会うこともないだろうから,言いたいことは言っておくべきである. 御間違えされると困るので書いておくが,普段の自分は物静かな紳士です. 20前半の頃は,血の気が多く気のさわる人は,年上でも喧嘩していたが, 最近(性格,体格ともに)丸くなったせいか,サッチーの言葉を借りて ”金持ち喧嘩せず”とでもいっておこう.〔平成11年9月6日記〕

7.6th Joint Warwick-Tokyo Nanotechnology Symposium にて発表のためイギリスを訪れた時の写真 (ビックベン,バッキンガム宮殿’00.9.22)である.
福岡空港からシンガポール経由にてイギリス・ロンドンヒースロー空港 までの道のりは今まで経験したことの無い無謀な計画であった。福岡からシンガポール航空989便シンガポール・チャンギ国際空港まで 6時間、福岡を10:40に飛び立ちシンガポールに着いたのは現地時間(時差-1時間)の15:30であった。 ロンドン出発まで8時間もあるので、空港内のトランジェントホテルで休むことにした。シンガポール・チャンギ国際空港は 世界の1,2を争う空港だけあって、素晴らしい空港であった。昨年、オランダ・スキポール空港も行ったが チャンギ国際空港の方が施設等を比べても格段の差があった。やっと、時間も過ぎシンガポール航空322便23:20発の 深夜便にてロンドンヒースロー空港に向け定刻通り出発した。12時間近くの缶詰状態だったが、エコノミーでも 個人に液晶画面がありゲーム・映画等を楽しむことができ、暇することなく定刻の現地時間5:50に到着した。 真夏のシンガポールから真冬のロンドンになり、一気に風邪ひきそうであった。目的地Warwickまではコーチバス(長距離バス)で 約2時間の道程で、ロンドンの街を過ぎると牧草地帯ばかりで何も変化の無い景色を延々と走っていた。 タクシーを乗り継ぎやっとのことで目的のWarwick大学に到着した。夏休みだったのか学生はほとんどおらず、 私が訪れた大学の中では一番広いキャンパスであった。その日(9/18)はとりあえず国際会議の受付を済まし、 学内の宿泊施設で休むことにした。やはり、30を過ぎると24時間以上起きているとかなり身体にこたえる。 明日は、口頭発表があるのでとりあえず何回か原稿を読んで寝た。学生時代は暗記するまで発表練習していたが、 なれというか怠慢で、少しいい加減になっているので反省している。9月20日(水)は興味ある発表がなかったので Warwick城などの観光に出かけた。個人的に歴史には興味ないので省略する。会議最終日の9月21日(木)大学院 修士2年綾野君の発表も無事終わり、直ぐにロンドンに向け出発した。フリーチケットにしていたため、目的のバスには 満員で乗れず、2時間待ってようやくバスにてロンドン市内に向けて出発した。個人的に海外では4☆以上のホテルしか 泊まらないことにしているので、今回もそうしたのだが値段の割には狭くて暗い部屋でよくなかった。あえてホテルは STRAND PALACEである。二度とここには泊まることはないでしょう。イギリスは物価が高く、さらに食事もまずく この2,3日まともなものを食べていなかった。そこで、私はいつも中華街に行くことにしている。海外の有名都市に 必ず中華街があるので助かる。日本円で2000円くらいで中華フルコースが食べれ、北京ダックもあったので びっくりした。日本で北京ダックを食べたらこんな値段では決してない。次の日(9/22)は伊勢丹ロンドンが 企画している日本語観光でロンドン市内を観光した。その時の写真を載せている。その夜は私が一番楽しみにしていた HARD ROCK CAFEに行った。観光雑誌にも書いてあるように7時過ぎると長蛇の列で我々も入るのに1時間ほど 待たされた。入ってびっくりロックの流れるなか、皆愉快に飲み食いしていた。店の中はほとんど乗りの良い アメリカ人だった様である。待ちに待ったカクテルを注文し様とメニューを見たが、みなウォッカ系のカクテル だったのでちょっと残念だったが、日本のカクテルとは違い大胆なグラスに注がれ、男の飲み物と言う感じであった。 日本のようにおしゃれな感じの飲み物ではない。食べ物からしてもイギリス人は大胆なのかもしれない。 〔平成12年11月13日記〕

8.上記国際会議の乗り継ぎ地点のシンガポールを訪れた時の写真(ナイトサファリ,マーライオン’00.9.24)である.
SQ319便にて9月23日(土)8:00に無事、ロンドンから到着した。シンガポール航空のストップオーバーホリデーにより、 ホテルまでの送迎、観光バス無料など得点が一杯でしかも8,600円で5☆ホテルThe Orientalに泊まれた。 シンガポールの中でも超高級ホテルだけあって、部屋はベッドルーム・応接室からなり、今まで泊まったホテルの中で 一番豪華であった。深夜便であったため、部屋で休憩し、シンガポール観光の目玉のナイトサファリに出かけた。 ただ、夜の動物園を車で回るだけでこれならば昼間の動物を見るのが良かった。夜になっても30℃以上の蒸暑さで じっとしていても汗が出てくる、嫌な気候である。次の日は無料観光バスを使って、シンガポール市内観光をし、 バード園、川下り、インド街などを周り、期待していたマーライオンは大したことなかった。でも、一番シンガポールで よかったことは、飯が200円程度で満腹食え、更に日本人好みの食が多かったことである。しかし、年中30℃近くで 蒸暑い気候は耐えられない。〔平成12年11月13日記〕

9.6th Applied Diamond Conference/2nd Frontier Carbon Technology Joint Confernceにて発表のためアメリカ合衆国 を訪れた時の写真(CNN本社前,自由の女神のあるエリス島から今は無き世界貿易センタービル,自由の女神をバックに, サンタモニカビーチ’01.8)である.
しばらく海外体験記を書くことを躊躇していたが、やはり海外のすばらしい体験を 知ってもらうため、再び執筆することにした。国際会議の開催目的地Alabama州、Auburn University Hotel and Conference Center とし、ここに行くためには、ジョージア州アトランタにて降機する必要がある。今回は、アトランタを中心に行動することを 考え、この空港をハブとするデルタ航空で渡航することにした。名古屋や成田発を検討したところ、福岡空港からの 乗り継ぎがよい名古屋発にて一路ロサンゼルスを目指した。デルタ航空の周遊を利用したため、4都市の降機が可能なため、 西海岸から東海岸の方向へロサンゼルス、ラスベガス、アトランタ、ニューヨークの都市を訪問することにした。 これだけの都市を同一料金で降機でできるのもアメリカの広大な広さを感じ、同じ国で時差が3時間もあるのには驚く。 大学生時代、日曜日の深夜NHKで放送されていたビバリーヒルズ高校生白書の舞台であるロサンゼルスを 訪問することが夢で、ビバリーヒルズの高級住宅街、サンタモニカビーチ、ハリウッドなどを見学し、夢を1つ実現した。 ハリウッド映画と言うことあって、町中のあちこちに撮影所があった。貧富の差を町の中を歩いていると一目瞭然で、 バスに乗っているのはメキシコ系人種ばかりで、一歩繁華街を外れると、ホームレスが沢山おり、不衛生であった。 海外唯一の日本人街のリトル東京にも脚を運び、戦争時の収容所での辛い日々の出来事を展示した博物館を見学した。 日本食の店が連なっているのかと思ったが全くなかった。次の都市、ラスベガスにおいては、砂漠の中に街が一直線に 伸び、山の向こうにはフーバーダムも飛行機の中から確認できた。砂漠と言うものを初めて体験し、高温で乾燥し 汗は出ないが、喉が渇きっぱなしで水を持ち歩いていないと干物になるところであった。そのためか、フリーモントの 頭上ショウを見た後、ダウンしてしまいホテルの部屋で寝ていた。ラスベガスのホテルでの食事は、飲み食べ放題のビッフェが 主流で、ホテルによって特色があるので、何件か食べ歩きをした。高カロリーの食事であることは言うまでもない。 何処のホテルも1階は、カジノとなっておりスロットは最初の1ドルコインを投入すると幾分かコインが出てきてしばらく遊べた。 そろそろ遊び心を止め国際会議に専念することに。ラスベガスから4時間近くの飛行でようやくアトランタに到着し、 そこからバスで隣の州、アラバマを目指すことに。着いた所は、Auburn University のHotelで国際会議場も同じ建物にあった。 周り見渡しても森ばかり、大学のキャンパスを散策するとびっくり。学内にアメフト球場、野球場、バスケット場全てのスポーツ 施設が整っており、アメフトの博物館まであった。私立大学の様で、スポーツに力を注いでる感じであった。 大学施設の運営は、主に学生が行っており、ホテルレストランもそうで、カクテルも学生アルバイトが作ってくれた。 アメリカのカクテルは、おしゃれな飲み物ではなく、ワイルドな飲み物であることを知っておかなければ、一杯でダウンすることも。 研究に関する記述は、別途違うところに記載することにし、旅に関することだけにする。 無事、国際会議での発表も終了し、アトランタへ戻ることに。この地は、CNN、コカコーラの本社があることで有名で、 また、風邪と共に去りぬをかいた作者の出身地でもある。町の地名にピーチツリーが多く、旅行雑誌に注意する様書いていた にも関わらず、予約するホテルを間違え、住所がピーチツリーにあるシェラトンホテルのつもりが、ホテル名にピーチツリーがつく シェラトンホテルで、中心部から3駅ほど離れたところであったが、観光場所が近くにあったので良しとした。 CNN本社の見学ツアーに申し込み、生の報道番組スタジオなど、CNNの巨大さを実感した。 さあ、いよいよ最後メインイベントのニューヨークである。ワクワクどきどきで国内線専用のラガーディア空港に到着し、 何故かラスベガスからずっと一緒の飛行機だった野田さん親子と仲良くなり、また何故かニューヨークのホテルも 同じシェラトンホテルと私と考えていることが同じ、奇遇も奇遇で意気投合しタクシーで一緒にいざマンハッタンへ。 シェラトンホテルは、日本人がいるフロントと聞いていたが、まあ日本語は通じないだろうと思っていたが、 運がよく日本人であった。予約の間違えで2部屋キープされていたようで、日本人で良かった。2部屋分払うところだった。 ニューヨークでは立地条件も最高のホテルなので一泊3万は当たり前である。JTBの観光ツアーに参加し、 国連本部、セントラルパーク、ハレーム、SOHO、中華街、最後にバッテリーパークからエリス島に渡り、間近から自由の女神 をバックに記念撮影、その時マンハッタン方向を眺めると、高層ビルが2棟が聳え立っているこれこそ、そのときは その存在を知らなかった1ヵ月後無くなる運命のワールドトレードセンターである。何故かマンハッタンをバックに何枚も 写真を撮っていたのである。 〔平成15年4月19日記〕

10.3rd International Conference and 4th General Meeting of euspen and nanotechnologyの国際会議で 発表するため、オランダ、フランスを訪れた時の写真(アムステルダム中心街,ハイネケンビール工場, エッフェル塔,ルーブル美術館モナリザ’02.5)である。 今回の会議の開催地オランダ・アイントホーヘンである。この街は、電機会社のフィリップの発祥の地である。 今回の旅程では、KLMオランダ航空を利用するしかなく、1都市周遊が可能のため、フランス・パリを 回ることにした。数年前にKLMを利用し、大変な目にあったのであまり利用したくなかったが、 旅費を考え仕方なかった。関空経由でアムステルダムを目指すが、福岡空港からの 国内線の乗り継ぎが悪く、前日に関空近くの全日空ホテルに宿泊を余儀なくされた。 ヨーロッパ便は午前に出発する便が多く、地方からでは大変不便である。 今回は2度目のアムステルダム訪問のため、大体のことは分かっていたので、 スキポール空港到着後、電車にて中央駅に行った。空港の地下から電車が出ている ので大変便利がよく、中心部まで15分程度である。 以前訪れたときには、時間がなくほとんど観光しなかったので今回はゆっくり観光することに した。まず、アムステルダムといえばカナルツアーで運河を観光船でまわった。 海抜が低いためか、船上ハウスが多々見られ、大雨のときなど船酔いにならないのか。 オランダはダイヤモンドが有名で、研磨工場を見学し、高価なダイヤを見せてもらった。 オランダといえばハイネケンビールでこの工場を見学し、2杯分のビール券をもらったが 1杯しか飲めなかった。出来たて生ビールはやはり美味しい。 アムステルダムにも中華街があり、中華コースを食べたが全く美味しくなく、 沢山食べ残した。コース料理なのにチンゲン菜を使ったものばかりで、最悪であった。 アムステルダムの街を堪能し、いよいよ国際会議開催地アイントホーヘンに。 中央駅から電車に乗るのだが、改札もなく駅員もおらず、自己申告で切符を買い 乗る様であるが、日本ならキセルするものが多いであろう。もし、キセルした場合 かなりの処罰があるようで、きちんと切符を買っているとのこと。 アイントホーヘンの街に到着、町中フィリップ社に関する建物ばかり。 何故かこんな田舎町なのに日本料理屋があるのにはびっくり。ホテルの中にも 日本料理鉄板焼きがあり3000円でコース料理が食べられなかなか美味であった。 料理人は何故か韓国人である。国際会議も無事終了し、最後の訪問地パリへ。 アイントホーヘン空港からパリシャルルドゴール空港まで1時間30分の飛行時間。 シャルルドゴール空港からパリの中心地までバスで1時間と成田と同じく不便である。 オペラ座近くのプチホテルに宿泊し、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館などを 観光した。ルーブル美術館においては、かなりの広さで有名な絵画モナリザなど を見たが、全てを見るには一日かかるとのことで、退散した。 ブランドを買いに来た日本人女性が多く見られ、開店前から並んでいるのを見て、 日本人らしいなと思う。 〔平成15年4月21日記〕

11.夏休みを利用しプライベートでアメリカ合衆国を訪れた時の写真(グラウンドゼロ,ヤンキーススタジアム’02.8)である.
昨年の同時多発テロ9.11がもし一ヶ月違っていたら巻き込まれたかもしれない。 犠牲になった方々を追悼するために、再びニューヨークを訪れることにした。 HISでニューヨークのフリーツアーがシェラトンホテル指定であったためこれに申し込むことにした。 福岡空港から成田経由でアメリカン航空にてJFK空港に向け出発した。最初の海外も アメリカン航空だったこともあり、アメリカ系エアラインの中では機内備品、サービスもなかなか良い。 JFK空港には現地時間18時に到着し、HISの車でマンハッタンを目指すことに。 ブルックリン橋を渡り、マンハッタンの町の中を走る車中からは、昨年のような活気がないことを つくづく感じた。HISが年間契約ているようで、上層階のかなり広い部屋にチェックインできた。 このホテルには、HISのツアーデスクがあるので、何かあったときに現地日本人が対応してくれるので お勧めのホテルである。ニューヨークにきたらやはりブロードウェイのミュージカルである。 ライオンキングは年間を通してソールドアウトの状態が続いていたが、テロ以降それはないようであった。 大人のミュージカルを2日間に分けて堪能した。今回の目的の犠牲者追悼のため、ローソクと 線香を持参し、いざグランドゼロへ。未だに地下鉄の駅は開通しておらず、バッテリーパークから 金融街を通り現地に。金網の柵の向こうには、地下6階分が剥き出しになった状態で、本当にここに 高層ビルがあったとは思えなかった。この地で亡くなった消防士たちの追悼場があったので、 ここに線香を手向け、二度とこのようなテロが起こらないよう平和を願いつつ、自由の女神を遠めに 見ながらここをさった。今回の旅の目的を終え、ニューヨークの観光を行った。昨年見れなかった ハーレム地区やコロンビア大学、セントラルパーク、博物館などを2階建てバスにて回った。 昨年はニューヨークの街を歩いていると日本人観光客を多々見たが、今回はほとんど日本人を 見ることはなかった。旅程最終日、巨人の松井が入団すると言われているニューヨークヤンキースの 試合を見に行った。当日は雨が降っており何回か中断があったが、対ボストンレットソックスの試合を 堪能した。バケツ一杯のポップコーン片手にビールを飲みながらの観戦は楽しかった。 今回2度目のニューヨークで、ほぼ全ての観光地を訪れることができた。 〔平成15年4月21日記〕

12.5th International Conference of the european society for precision engineering and nanotechnology (Le Corum, Montpellier, France, 10 May 2005)の国際会議で発表のためフランスを訪れた。(左:ベルサイユ宮殿、中央:F1モナコGP、右:モナコの街並み)
以前、オランダでの国際会議の帰りにフランス・パリを訪れていたが、ルーブル美術館を全て見て回ることができず、 もう一度訪れたいと思っていた。今回は、関西空港からのエアーフランス航空でパリ・シャルルドゴール空港を 目指し、渡航した。ドゴール空港は、第一ターミナルと第二ターミナルに分かれており、エアーフランスは 第二ターミナル発着となる。パリの市街地までバスで1時間ほど、成田空港から都心に出るのと変わらない。 時差ぼけ調整のため、パリで一泊することにした。 前回と同じくオペラ座近くのホテルを予約した。パリのホテルは、こじんまりとしたプチホテルばかりで、 値段の割には、ベットも狭く日本ならビジネスホテル並みである。 今回は、前回行かなかった、ベルサイユ宮殿(パリ郊外、南西20kmほど、地下鉄が乗り入れている)を見学するため、 朝早く出かけたが、すでに参拝券を求める人だかりで、中を見ることができなかった。 その後、パリ市街に戻り、凱旋門の上からシャンゼリゼ通りを見渡した。 心残りであった、ルーブル美術館に行き、前回見ていない絵画などを見て回った。 国際会議の場所は、フランス南部モンペリエ、しかししながら、南部でもニース、カンヌ方向ではないので、 TGVが一日に数本しか走っておらず、やもなく、ドゴール空港からモンペリエ空港を目指した。 空港からは、タクシーで、ホリデーインにチェックイン、ななんとこのホテルは名家の屋敷だったとのこと。 チェックインした部屋は、スイートルーム、パリのホテルの数倍の広さの部屋で 満足満足。日本人が珍しかったのか、何故か知らないが、好意的な印象であった。 ホテルの裏道には、何故か日本の焼き鳥屋、ここまで来て焼き鳥はご勘弁。 ステーキハウスで、ディナーを。ビールピッチャーとメインディシュで一人2000円くらい。 パリでは考えられない安さ。一人でビールピッチャー一杯は飲んだかな。 国際会議のランチはフランス料理、それもフランス産の赤と白ワイン飲み放題、 こんな美味しいワインを飲めるなんて幸せ。 アメリカやヨーロッパでの国際会議は必ずお酒が出てきて、ほろ酔い気分で講演を聞いたり するのは、常識なんかな。私自身もほろ酔いになると何故か英語が流暢になるんです。 通じなかったらどうしようという気持ちがあるからでしょう。日本人の悪いところです。 話は変わり、国際会議は無事終了し、電車でモンペリエから地中海の海岸線を通って、 途中、カンヌの街並みを過ぎ、そうすると目的地のニース。夏場は観光客で賑わい、 ホテル代も5万近くまで跳ね上がるのだが、ちょうど時期が違い、ニース海岸沿いのホテルに 宿泊。また、モナコでのF1開催前だったので安く宿泊できた。 お酒を買うためにニースの街をぶらぶらと、なんとワインのフルボトルが、ビールと同じ値段。 安くて美味しいワインを買い込みました。しかし、シャンパンは倍以上の値段だったかな。 次の日は、バスでモナコ公国へ。治安が世界中の中で一番いいと言うだけあって、 そこらじゅうに銃をもった警察官ばかり。ちょうど、F1の準備中で街の中は、慌しく会場準備が 進められていた。国王が住む宮殿やカジノなどを見て、一度は住んでみたい気持ちに。 すぐ隣は、中田ヒデの愛したイタリア、ぜひ今度は行きたいな。 〔平成19年6月19日記〕

13. 平成18年1月に冬休みを利用してマレーシア・クアラルンプールを訪れた。(左:ブッビッタン駅、中央:イスラム教礼拝堂、右:ツインタワー)
福岡空港からの直行便(現在はない)でマレーシア・クアラルンプール国際空港を目指した。 シンガポールと同じく、約6時間のフライトである。フライトアテンダントの制服は、民族衣装でシンガポール航空 と同じで飛行機に乗った時点で異国にいる感じである。しかしながら、ちょっと違うところは、 飛行機が古いことであり、これが帰国時の悲劇につながるのである。 現地の夕方に到着し、いざ旅行会社のバスでクアラルンプール市街へ。 約1時間くらいかかってであろうか。宿泊するルネッサンスホテルに到着。 なぜ、このホテルにしたかというと、モノレールと地下鉄の駅に近く、 ブッビッタンへのアクセスがいいこと。また、歩いてKLCC(ツインタワー)に行けること。 ホテルからKLタワーも見えることかな。東南アジアのホテルは文句なしのホテルが多いです。 人種は、大きく分けるとマレー系と中国系、もちろんインド系もいる。 シカゴのタワーがNO.1の高さであった後、クアラルンプールのツインタワーが数年間No.1 だったが、今は台湾・台北の101がNo.1かな。いづれのタワーの展望台にいきましたね(自慢)。 KLCCの中はデパートになっており、日本の紀伊国屋もある。 英書が安く買え、日本円で払え、日本人販売員も常駐している。重たいけど英科学書を購入。 モノレールで中心地のブッビッタンへ。デパートやファーストフード、屋台がたくさん。 夕食はもちろん屋台で、日本円で100円くらいかな。その後、デザートにマンゴー、これまた美味しい幸せ。 驚いたのは、平然とバッタもん屋があること。時計、ベルト、カバンなどなど。もちろん、 値段は、交渉次第、これがおもろい。韓国では、こっそり販売しているのだけれど。 台北の夜市も面白かった(アダルト系が多い)けど、マレーの方がより良いかな。 後で気が付いたけど、中国系の店にはタックスがかかること。これは、注意しなければいかん。 観光ツアーで、マレー系の歴史民族博物館に行って、驚いたこと。 マレー人の場合、生まれたら直ぐに割礼を行うのだと。ガイドは中国系だったので、やってないと言ってたけど。 イスラム教の礼拝堂にも行ったけど、すごい広さ、曜日は忘れたけど、その日の午後は仕事もなしで 礼拝に来るんだと。また、女性は肌を出したら駄目なので、入り口でマントのようなものを着用しなければいけない。 次の日の夕食は、マレー民族ショーが見られる高級バイキングレストラン(観光雑誌に大抵載っている)へ。 なんと、舞台のまん前。食べながらまん前で見るのは、ちょっとね簡便。ちなみにマレー料理は、 私の口に合いませんでした。ただ、焼き鳥のようなものは美味しかったかな。有名みたいだけど。 後、シンガポールみたいなジトーとした感じはなく、日本の夏と同じ。 いよいよ、帰国の途に、東南アジアからの日本への飛行機は、皆深夜便ですね。 0時過ぎにセキュリティーチェックを受け、待合ロビーで搭乗を待っていると、 英語のアナウンスで、搭乗の飛行機のエンジントラブルで点検中、しばらく待ってくれと。 待たされること、2時間近く日本語でのアナウンスがなく、日本人のおばさんらが騒ぎ出し、 やっと、日本人キャビンアテンダントが日本語で状況説明。その間、飲み物ひとつ 出さなかったのはひど過ぎる。あきらめて、皆ロビーで寝始めた。 エアバスA320だったかな。エンジンを点検し始めて3時間、おそらくエラーランプが 付いていたんだろうな。でも、異常は見つからないって。 あきらめたのだろうか、4時間遅れで出発。その後、福岡便はなくなりました。 予定だと朝一で福岡に着くのでそのまま会社へというOLさんも沢山いましたね。 大変困っていました。現在、中田ヒデさんは、東南アジアを中心に自分探しの旅を されているようです。孤児院などを回っているようですが、本人は、高級ホテルのスイートに 宿泊しているんでしょうかね。個人的な意見としては、世界ウルルン見たいに、 何日か一緒に現地の人と生活を共にして欲しいような。そうすれば、本当の自分に出会えるかも 知れませんね。目的も無いのに大学には行かない、大学はいつでも行ける。今はサッカーなんだとJリーグへ。 すばらしい生き方に感銘してます。大学全入時代に突入し、選ばなければ大学に入学できる状況の中、 はたしてどんだけぇの学生が目的を持って入学してきたか、考えるだけ無駄なような気がする。 目的無く入学してきても、自分の人生を導いてくれるような恩師に出会えれば幸運といえようか。 中田ヒデの良い部分のみ学んだ清原式哲学についてUPしたので参考にして下さい。 〔平成19年6月19日記〕

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